ロシアの侵攻でウクライナが戦争に巻き込まれている2022年の4月2日、僕はウクライナの西部の小さな田舎町Chopに入った。
その前の約3日間はハンガリーとウクライナの国境の町でウクライナ難民の取材をしていたが、そこにいるだけは正直自分ができることの限界があった。
ウクライナからの避難民が来ること、そしてそれをボランティアとして支えている人がいること、それを取材できたことは僕にとって大きな一歩ではあった。
しかしそれをしているだけでは実際のウクライナの現状がどうなっているのはわかるはずもなかった。
確かに避難民はくる。それは事実。
だけどそれだけだ。ウクライナで起きている戦争がどういうものなのか、ということは知ることができないと思った。
僕はウクライナが実際にどういう状況になっているのか、それを知りたかった。
だからウクライナに入らなければならないと思った。
自分がこの目で見て、それを記録として残し、誰かに伝えなければならないと思った。
しかし、それは僕にとって勇気のいることでもあった。
Chopという田舎町は爆撃もされていない安全な場所であろうというのは想像できたのだが、何しろ情報がない。ウクライナ軍がどのように自分を見るか、そして国境で入国の許可は取れるのか。
正直わからないことだらけだった。
でも迷っていてもしょうがないし、ハンガリーにいるだけでは何もわからないので、とりあえずなんとなくに身を任せて行ってみることにした。
ハンガリーの国境の町Zahonyから電車に乗り込む。
乗り込むときに僕はある男性に話しかけられた。彼は多少拙いながらも英語を話した。
乗り込む時はウクライナに戻る人で列ができていたので、あまり詳しく話す時間がなかったが、僕たちは電車内で話す約束をして、僕が先に乗り込んだ。
彼はウズベキスタンのパスポートだった為か、乗り込むのに時間がかかっていたようだった。
待つこと5分ぐらいすると彼が僕の隣に現れ、僕たちはGoogle翻訳を使いながら日本語とロシア語で話した。
聞くところによると、彼はウズベキスタン人で2年前にウクライナの市民権を取得したらしい。しかし戦争が始まってしまったので、妻と子供を連れてハンガリーの首都へ逃げ出した。しかしながらその道中、荷物と大事な書類を盗まれ、その書類を再び取りにウクライナに戻ると話した。
彼はなぜ僕がウクライナに行くのか理解できなかったようで、なんでウクライナに行くんだと聞いてきた。
僕は実際に起きている戦争がどういうものなのかを知りたいからウクライナに行くと話した。
彼はなんとなく理解してくれたようだった。
それから約5分ぐらい電車に乗って、ウクライナの国境に着いたが、それからの入国審査が非常に長かった。
まず審査窓口が1つしかなく、そこにざっと100人ぐらいが並ぶので自分の番がなかなか来ない。
やっと来たと思ったら、なぜウクライナに入国するのか、その意味を教えてくれとその女性審査官は言った。
どうやら不審に思ったらしく(今考えると当然である)、他の軍人を呼び、僕は片隅に連れて行かれ、取り調べを受けることになった。
二人の男性軍隊にパスポートのチェックと、なぜあなたはウクライナに来たのかという質問を受けた。
僕は観光で来たと答えたが、なぜ戦時中のウクライナに観光に来たのか理解できないらしく、「あなたはジャーナリストですか?カメラマンですか?」と僕が肩からぶら下げているカメラを見て何度も聞いてきた。
僕はジャーナリストになりたいという思いはあったのだが、プロではないので観光に来ましたの一点ばりで答えた。
今考えると「私はジャーナリストになりたいと思っています」と答えるのが正解だったかもしれない。
ウクライナ側に立って考えてみるとわかるが、この時期に観光に来ましたという人は怪しい。というか怪しすぎる。
なぜこの時期に観光に来るのかというさっきの女性軍隊の質問も非常に理解できる。
この数日前にウクライナの大統領側近が「ジャーナリストもスパイになりかねない」という発言をしていたようで、それもあってか国内は少しピリついた雰囲気だったのだろう。
あの場面でジャーナリストと答えていれば、それはそれでどうなったかわからないが、それは一か八かの賭けだったように思う。
おそらく観光客と答えて正解だった。
理解を得るのに30分ぐらい時間がかかったが、Google翻訳の力を借りてなんとか入国を許可してもらった。
軍の施設や兵士の写真は絶対に撮るなと念を押されたが。
最後には理解してくれたようで、「Welcome to Ukraine」と言っていただき、握手をして国境を越えた。
彼らは国を守るために非常に一生懸命で、その強い意志を感じた。
そんな彼らの熱い思いをよそに、自分は観光気分で行ってしまったことを少し後悔したりもしたが、それと同時に自分もウクライナの現実を伝えるんだという思いが出てきた。
駅は大きかったが、中には多くの避難民がいて、明かりはなく昼間なのにどこか薄暗い。
駅を出るとそこには至って普通の街並みが広がっていた。
軍隊や警察がところどころに銃を持って立っているのがものすごく印象的で、僕はカメラをぶら下げていたので下手なことをすると撃たれるかもという不安がつきまとう。
本当はカメラを向けたい被写体が多くあったのだが、軍隊が目を光らせていたので、適当に街の風景を撮るしかなかった。
駅を出て歩いていると、住民らしい女性たちに声をかけられた。
年配の犬を連れた人と、あと一人は自分と同じくらいの年齢おそらく20代半ばだと思う。
ウクライナ語だったので、正確には何を言っていたのか分かりかねるが、おそらく撮影の許可は得ているのか?ということだろう。
Google翻訳を通して「国境警備隊に許可をもらっている」と伝えると渋々わかったような顔をしたが、本音では納得いっていないようだった。
おそらく僕がロシアの工作員として動いている可能性を示唆しての言動に違いない。
僕はこのまま街をぶらぶら観光気分で歩くのは危険だと思い、あまりカメラが目立たないように歩いていたが、ふと引き返すとさっきの犬を連れたおばさんが後をつけてきていた。
完全には信用してもらえなかったらしく、不審に思って後をつけてきたようだ。
その後もしばらく後をつけられ、適当に街の写真をとりながら歩いていると僕の隣にパトカーがすごい勢いで走ってきて止まった。
中から体格のいい二人の警官が降りてきた。
すぐさまカメラを止めるように言われ、撮影をするなと言われたので、すぐさまパスポートを取り出し従ったが、完全に不審に思われたらしく警察署まで連行すると言われパトカーに乗せられた。
正直かなり怖かった。
なぜなら彼らが本物の警察官であるという確証が持てなかったからだ。
もし彼らが偽警官ならそれっぽいことを言って、僕をどこかに連れ去りカメラや貴重品を奪うことも可能だと考えた。下手に動けば殺させるとも思ったが、ここで抵抗してはもし彼らが本物の警察官だったときに取り返しがつかないと思い、何の抵抗もせずに彼らに従った。
カメラとGoProは没収され、助手席のアタッシュケースの中に入れられた。
この時僕はかなり絶望していた。自分は生きて帰れないかもと思ったし、生きれたとしてもGoProとカメラはおそらく戻ってこないだろうと考えたからだ。まあ最悪自分が死なずにハンガリーに戻れたらいいと思ったが、警察署に行くと言いながらも車を飛ばし続け、15分以上もたった。
さすがに時間がかかりすぎだろうと思って、どこまで行くのか聞いてみた。
しかし彼らは警察署に行くというだけで、それ以上具体的な説明はない。道路の標識を見ても、Lvivやキーウといった標識しかなく、もしかして僕はこのままリビウかキーウに連れていかれるんじゃないかという不安が大きくなってきた。連れて行かれてそこで何をさせられのかはわからなかったが、ものすごく恐怖心が大きくなった。もしかしたら戦闘員として使われるのではないかとも思ったりした。
あたりは田舎道で間間に村がある。
すでに30分ほど走っているのに、まだ到着しない。ここで僕は完全に恐怖心に負け、警察に謝り続けた。「I’m srory, I’m Sorry, I will delete my all pictures, so please return to chop, and after I will go to Hungary…」「ごめんなさい、写真を消すからChopに戻してください。ハンガリーに行きます」そう繰り返したが、もうすぐあと5分くらいで着くからと言われそのまま車は進んだ。
そして車は警察署に着いた。
そこで降りるように言われ、カバンの中を調べられた後、警察署の中に入った。入ると女性警官と複数の兵士がいて、何をしにウクライナに来たのかを聞かれた。僕は観光に来たと言い張ったが、この時期になぜ観光に来るのかわからないらしく、別室に連れていかれ本格的な取り調べを受けることになった。
別室は入り口からさほど離れおらず鉄格子の扉を2つ通った先にあった。中には男前の警官と、恰幅のいい警官がおり、とりあえず椅子に座るように言われた。彼らは僕に質問をしてくるが、当然僕はウクライナ語もロシア語もわからないので、しばらく待つように言われ待っていると、さっきとは別の女性兵士が部屋に入ってきた。
彼女は彼らよりも英語ができたので、通訳をしてくれた。
彼らが一番知りたいのは、なんで僕が戦時中のウクライナに観光に来たのかということだった。当然僕は観光に来たとしか言いようがない。ジャーナリストかカメラマンかと何度も聞かれたが、ジャーナリズムでお金をもらっているわけでも、写真家としてお金をもらっているわけでもないので、同じ答えを繰り返すしかできなかった。
僕は東側はロシア軍に攻められて危ないけど、西側はまだ危なくないと聞いたと言った。
するとなんとなく納得してくれたようで、今度はカメラの写真と動画を全部提示するように言われた。
幸いなことに僕はハンガリーの観光をしていたので、ハンガリーの首都ブダペストで撮った夜景や、道中の街の景色の写真が大量に入っていた。
もちろんウクライナで撮った写真もあったが、国境警察の言う通りに軍や軍施設の写真など一枚もなく、ストリート写真と建物の写真だけだったので調べている警官も「こいつは普通の観光客っぽいな」と悟り始めた。
本当は戦争の様子を撮りたかったけど、幸いなことにまだ何も撮れていなかったので信用してもらえたようだ。
彼らもおそらくロシアのスパイではないだろうと思ってくれたようで、徐々に心を開いてくれたように感じた。
しかしながらウクライナで撮った動画と、写真は全て消すように言われ、理由は「なぜあなたがウクライナに来たのかわからないから」ということだった。
ここで抵抗しては何もならない、全てのことに従うことが大事だと考え、僕は言われるがままにウクライナに来てから撮った写真を全部消し、動画も全て消去した。本当は残しておきたかったのだけど、ここで下手に抵抗して怪しく見られることは絶対避けたかった。
データを全て消去するとさっきの女性兵士が「ウクライナが平和になったらまた来てくださいね」と言い、部屋を出ていった。
その他の警官も納得したようで、パスポートの写真と僕の顔写真を撮り、取り調べは終わった。
最後には「お前なんでこの時期にウクライナに来たんだよ(笑)危ないだろ(笑)」みたいな雰囲気になっており、彼らとも完全に打ち解けたように感じた。最初に警察署に来た時のあの緊張感が彼らの顔からは消えており、こいつやばい日本人だな というような雰囲気が部屋の中に流れていた。
最初にかなり恐怖を感じたものの、何も抵抗せず言われたことに全て従ったことで彼らも安心してくれたようだった。
その後は再び同じパトカーに乗せられ、Chopに戻った。
さっきの警官2人と今度はもう一人の少し若めの軍人と一緒にパトカーに乗り、Chopまで戻った。
その戻る道中僕はその若い軍人と少し話した。
Google翻訳を使って話したのだが、僕は悪気なく「ウクライナが危なくなったら日本に来てくださいね」といった趣旨の内容を見せた。
彼は「ありがとう、日本が守ってくれるのか?」と笑っていたが、僕が言ったことを前の二人の警官に伝えてもその二人は特に何も反応がなかった。
自分としてはその時点で全くの悪気はなく、むしろ彼らに何かができればと思い言ったのだが、今考えるとその発言は彼らの国に対する姿勢、彼らのやっていることに対して失礼な発言であったのではないかと思う。
なぜなら日本に来るということは祖国を捨てる、祖国を見放すということだからだ。
一生懸命に国を守ろうとしている人たちに向けて僕が言った一言は、彼らにとって受け入れられることではなかったように思う。
そして僕はハンガリーから来た駅前に下ろしてもらい、彼らはまたどこかへ去っていった。
降ろされた僕は自分がひどく腹をすかしているのに気付いた。
解放された安心感と、取り調べではかなり頭を働かせていたので、エネルギーを使っていたのだろう。
近くのスーパーマーケットに行って何かを食べようと探していたが、せっかくだから地元のレストランに行ってみようと思った。
スーパーの店員さんに聞くと、徒歩2分ぐらいとさほど遠くないところにレストランがあるという。
そこまで行ってみることにした。
レストランはおしゃれで木をベースに建てられ、中は少し暗いが居心地は悪くなかった。
受付の女の子は英語を話したのでとてもスムーズに注文ができ、僕はピザとホットチョコレートを頼んだ。
そのホットチョコレートはマジで美味かった。
体が糖分を欲していたというのもあると思うが、ウクライナ入国から緊張しまくっていた僕の体にとってそれはまさに一息つけた証でもあった。
また、ピザも一人前には大きすぎるほどのサイズで完全に腹一杯になった。
しかしながらそばにあったテレビからは常に戦争の映像が映し出され、それが今自分がいる国で起きているということがなかなか現実としてみるのは簡単ではなかった。
僕の前の席で食べていた女性は、そのテレビから流れてくるおそらくウクライナの国家を聞きノリノリでピザを食べていたのが印象的だ。
支払いをして僕は驚いた。
あれだけ食べたのにたった300円ぐらいだったのだ。
日本だと間違いなく2000円ぐらいの価格にはなるはずだ。
隣国のハンガリーではあまり物価の安さを感じなかったが、ウクライナは物価の安さが段違いだった。
帰りの電車の時刻が近づいていたので、僕は急いで駅に向かい、入国審査のゲートを抜けて電車に乗り込もうとしたが、ここでも軍隊に捕まり、別室に連れていかれ荷物を全て出し調べられた。
警察官には「今戦争が起きているから、ここは旅行でくる場所ではない」と注意されたが、先ほど送り出してくれた国境警備隊の人たちは「あれ、お前もう戻ってきたのか」という表情をしていた。
ハンガリーに戻る電車はまだ来てないようで、僕の前にはウクライナからハンガリーに行く難民が列を作っていた。
待つこと30分ぐらいしてやっと列車が来た。
僕とウクライナの人たちは次々と列車に乗り込み、ハンガリーを目指したが、その向かう途中で電車が謎の停車。
30分以上待たされ、その間何が起こっていたのかは不明である。
電車が止まっている時に目にした光景がとても印象的である。線路上で二人の若い兵士がマシンガンを持ち、一人はタバコをふかし、気温が0度近い中ずっと警備をしていた。
時々電車の中を見るので、何度か彼らと目があった。
おそらく年齢は20代前半。
僕と変わらない年齢で国境の寒空の下、警備をしなければならないとなると、本当に尊敬に値する。
僕はハンガリーに戻る列車の中で、来る時に一緒だったウズベキスタン人のことを考えていた。
彼は僕が入国するときに別室に連れて行かれていたが、果たして入国できて書類を取れたのだろうか。
出来れば今日中に戻りたいと言っていたが、あの感じではおそらく戻れていないだろうと思った。
ハンガリー入国はウクライナ入国に比べ極めて簡単で、入国後は電車を乗り継ぎ、さらに2時間近くかけ泊まっていた宿に向かった。